1774年8月2日。
イギリスの科学者が酸素を発見しました。
初めは誰が見つけた?
酸素はスウェーデンの化学者、カール・ヴィルヘルム・シェーレが1771年に初めて見つけました。
しかし、これはすぐに公にされず、その後1774年にイギリスの科学者である、ジョゼフ・プリーストリーがそれとは独立して見つけたあと、広く知られるようになりました。
そのため、化学史上の発見者はプリーストリーとされています。
まずシェーレがどんな発見をしたか具体的に見ていきます。
シェーレは度重なる実験の結果、空気の3分の1は、火を燃やす働きがある。
残りの 3分の2は、火を燃やす働きがない。
ということに気づきました。
シェーレは自分自身の実験結果より、「空気はいろいろな気体が混ざっている、混合物なのだ!」と思い、アリストテレスの「空気は元素で、純粋な物質だ」という考え方は間違っていることを確信しました。
プリーストリーの発見
化学者であるプリーストリーは当然、1754年に発見された二酸化炭素のことを知っていました。
しかし二酸化炭素は空気中や、動物の吐く息にも含まれるとはいえ、二酸化炭素だけの中では、
・生物が呼吸できずに死ぬ
・火も燃えることができない
といった、なんだか都合の悪い性質を持っています。
実際、ネズミをビンの中に閉じ込めておくと、ビンの中は二酸化炭素ばかりになり、ネズミは呼吸できずに死んでしまいます。
そこでプリーストリーは、「神様はきっと、この空気を綺麗にする仕組みを自然に作っているはずだ」と考えました。
なぜなら世界中の人類が呼吸するごとに二酸化炭素を大量に出し続けていますが、人類はいつまで経ってもネズミのように窒息死することがないからです。
・人間は酸素不足で死なないのはなぜか。
・ずっと二酸化炭素を出しているはずなのに、人類がビンの中のネズミのように死なないのはなぜか。
と疑問を持っていました。
プリーストリーは、「二酸化炭素だらけになった空気を綺麗にしている方法」を探すため、いろいろな実験を繰り返しました。
プリーストリーは様々な方法を試しましたが、全て失敗。
何をやっても、ネズミが生き続けることはできませんでした。
ですがここで、プリーストリーは膨大な実験数の中であることを見つけ出しました。
プリーストリーはある日、二酸化炭素だらけのビンの中に、土と一緒に草を入れました。
草も植物であり、生物なので、ネズミのように死んでしまうはず…と思っていましたが、なんと草は二酸化炭素の中でも問題なく育っていくのです。
さらに、草にひっついていた小さな虫も、なぜか死ぬことなく生き続けています。
プリーストリーはこれを見て、植物が空気を綺麗にしているに違いない!と確信します。
プリーストリーは、人間が生きるためには、空気のうちの一部の “純粋な空気” だけが必要であり、それを作ってくれるのは植物なのだろう、と考えるようになりました。
そして彼はついに、水銀を利用した方法により、動物が生きたり、火が燃えるために必要な “純粋な空気” =酸素を自由に手に入れられるようになりました。
理科の授業でも習った、水上置換法を利用しています。
化学の世界では一応、「酸素を発見したのはプリーストリーだ」ということになっています。
しかし説明したとおり、シェーレの方が2~3年も早くに “火の空気” として、酸素を発見しており、しかも空気中に含まれる酸素の割合まで突き止めています。
しかし実はシェーレがこの発見を論文で発表しようとするとき、監修をする人物がもたもたしていたため、数年間も発表することができなかったようです。
その間にプリーストリーが論文を発表してしまったため、世間では「プリーストリーが最初の発見者だ!」ということになりました。
シェーレにとっては大変悔しい出来事のはずですが、彼は名誉よりも「真理を知る」ことに重きを置いた素晴らしい人間性を持っていたため、「僕が先に発見した」といった主張は控えていたといいます。
そしてこの物質が後にフランスの科学者である、ラボアジェによって『酸素』と命名されました。