明暦の大火、別名「振袖火事」と呼ばれています。
1657年1月18日から19日の2日間にわたって江戸の町を燃やし、およそ10万人の死者を出した江戸時代最大の大火災です。
当時の江戸の町は、1656年の11月から翌年1月にかけて80日近くも雨が降らず、カラカラの天気が続いていました。
大火が発生した1月18日は北西の強風が吹いて、砂ぼこりが舞い上がり、人の往来もまばらな日であったと伝えられています。
火災は、本郷丸山の本妙寺(文京区本郷付近)で午後2時ごろ発生し、江戸城天守閣が焼け落ちたほか
多数の大名屋敷、市街地の大半が焼失するなど、江戸中を焼き尽くすほどの大火事でした。
明暦の大火、いわゆる「振袖火事」には、たくさんの逸話が残されています。
その代表的なものが振袖をめぐる不思議な崇りの伝説です。
江戸の町の一人の少女が、偶然見かけた美少年に一目惚れしました。
寝ても覚めてもその少年のことが忘れられず、彼が着ていた服と同じ模様の振袖を親に作らせました。
その振袖を抱いては、彼のことを思う日々でしたが、恋の病からか、はかなくも死んでしまいました。
両親は憐れんで娘の棺にその振袖を着せてやりました。
当時こういった棺に掛けられた服などは寺で働く男たちがもらっていいことになっていました。
この振袖は男たちによって売られ、別の娘の物になりました。
ところがこの娘も、しばらくすると亡くなり、振袖はまた棺にかけられて寺に持ち込まれました。
寺の男たちもびっくりしましたが、まあ、そんなこともあるだろうとまたそれを売り、振袖はこれまた17歳の娘の手に渡りました。
ところが、この娘もほどなく死んでしまい、振袖はまたまた棺に掛けられて寺に運び込まれてきたのです。
三度目ともなるとさすがに気味が悪くなり、振袖を供養のためにお焚き上げしようと寺に運び込みました。
そのお寺が出火元とされている本妙寺です。
ところが火のついた振袖が強風で舞い上がり、結果として江戸城まで燃やした大火事になったといわれています。
ですが以上の話は同時代の記録にはなく、後世になって広がった話なので信憑性は定かではありません。
火事の責任を大名が逃れるためにお寺からの火元だとされていたり、江戸幕府が町の再建をしたかったから…など噂話は多岐にわたるのです。