高さ333m、1000人を収容する展望台(120m地点)まで1分間で上がる超スピードエレベーター付きの東京タワーが完成しました。
1958年のこの日に完工式が行われました。
東京タワーが建設されるまで、テレビ局、ラジオ局は各放送局ごとに電波塔を建てて、そこから電波を送信していました。
各放送局ごとに電波塔が乱立してたので、チャンネルを変えるごとにアンテナの向きを各電波塔の方向に変えなければいけないという不便な状況であり、景観の面でも好ましくありませんでした。
また、各放送局の電波塔は高さ150m~180m程度で電波塔から半径70kmしか届かず、茨城・栃木・群馬の北関東3県などでは満足に電波を受信することができないという問題もありました。
テレビ・ラジオ放送を監督していた郵政省の意向もありこれらの問題を解決するための総合電波塔の建設が当時、産経新聞の社長を務めていた前田久吉氏によって計画されました。
その際、建設費の早期回収のために、高さ300mを超える世界一の高さの塔を建設して展望台を設ける案が出され、これが東京タワーの原型となりました。
関東に高さ300mを越える総合電波塔を建てるにあたり、どこに建てるかが問題となりました。
上野公園や前田久吉氏が建設予定地として取得していた千葉県富津市の鹿野山といった候補地の中からテレビ局・ラジオ局からの距離が近い芝公園が選ばれ1957年6月に工事が開始されました。
総工費は当時のお金で28億円です。
東京タワーの設計は、通天閣やさっぽろテレビ塔を設計した「日本の塔博士」と呼ばれる内藤多仲氏が担当しました。
開業翌年の1959年に早くも年間入場者数500万人を記録し、その後1967年に特別展望台、1970年に蝋人形館、1978年に水族館と人気の施設がオープンし、東京の観光名所の座を不動のものとしました。
平成に入ってからも東京タワーは東京の人気観光地でしたが、来場者は地方や海外の観光客が多く、東京に住む人にとっては「東京タワーは『おのぼりさん』が行くところ」
と認識している人も多く登ったことがない人もいました。
更なる集客を求めて、開業50周年となる2008年からエレベーターに乗っている最中も楽しめるようにテーマ性を持たせたり2018年の開業60周年の際には、大展望台と特別展望台をそれぞれ「メインデッキ」「トップデッキ」への名称変更を伴う大規模改修などが行われました。
リニューアルの成果もあって2018年には来場者が1億8,000万人を突破、今でも東京を代表する観光地として根強い人気を誇っています。