【1849年(嘉永2年)10月7日】ミステリー記念日

歴史を振り返る~今週の出来事~

10月7日はミステリー記念日です。

1849年のこの日、ミステリー小説の先駆者である、アメリカの小説家エドガー・アラン・ポーが亡くなったことに由来しています。

世界初の推理小説は、エドガー・アラン・ポーが1841年に発表した短編小説『モルグ街の殺人』であることから、ミステリー小説の生みの親ともいわれています。

ポーはこの小説で、奇怪な殺人事件の謎を犯行現場に残された手掛りから解明する名探偵デュパンを登場させました。

引続き、「マリー・ロジェの秘密」「盗まれた手紙」とデュパンの探偵譚を書きましたが、ポーには他にも「黒猫」や「赤死病の仮面」など、恐怖をテーマにした作品が多くあり、怪奇幻想的なものを含めた「ミステリー」の作家といえるでしょう。

ちなみに少年探偵団で有名な江戸川乱歩は、彼の名前をもじったものです。

ですが、チャールズ・ディケンズという作家も、ポーに先立ち、同年1月から連載を開始した半推理・半犯罪小説の『バーナビー・ラッジ』を書いている他、100年ほど前に書かれたヴォルテールの『ザディグ』の一編「王妃の犬と国王の馬」も推理に重きが置かれています。

さらには『カンタベリー物語』、『デカメロン』、聖書外典『ダニエル書補遺』の「ベルと竜」などにも推理小説のような話が収録されており、どこに端を発するかという議論は今も尽きません。

その中で確実に言えることは、1830年代のイギリスに警察制度が整ったことで、犯罪に対する新しい感覚が生まれたということです。

この頃一世を風靡した『ニューゲート小説』は、ニューゲート監獄の発行した犯罪の記録『ニューゲート・カレンダー』を元に書かれた犯罪小説であり、

後の近代推理小説が生まれる基盤を作ったと言われています。また、推理小説というジャンルにとって警察組織の存在は大きいです。

法を手に犯罪者を捕らえる新しい形のヒーローが誕生したからです。

その裏側には、急速に都市化が進むイギリスで、一般市民が都市の暗黒部に対し抱く不安が高まっていた、という歴史的事実が関係しています。

そして都市化に伴うストレスのはけ口として、「殺人事件」という素材の非日常性が必要とされていたという見方もあります。

日本では明治以前から勧善懲悪をテーマとした、歌舞伎や講談の演目が存在していました。

例えば大岡政談などの政談ものは発生した事件を正しく裁く筋立てが、法廷推理小説に等しく、鼠小僧や石川五右衛門を題材とした作品群は犯罪心理小説に通じるものがあります。

しかし、これらは奉行や犯罪者の物語で、民間人が犯罪を解決する役回りにはならないものでした。

日本における探偵小説は、文明開化以降、探偵という概念が西洋から輸入されることで生まれました。

黒岩涙香が明治22年(1889年)に発表した『無惨』が、日本人初の創作推理小説と言われています。