1957年10月1日。
5000円札が初めて発行された日です。
この日に日本初の5000円札が発行されました。
日本初の5000円札は聖徳太子を肖像に採用し、1957(昭和32)年に発行されました。
まだ戦後間もない日本では、1万円という額面は、現在の何十万円もの価値がありました。
当初は一万円紙幣を先に発行予定でしたが、高額紙幣発行に対する国民の抵抗をやわらげるための措置として、聖徳太子5000円札を先に発行したとも言われています。
表面の聖徳太子の肖像は、紙幣の真ん中に配置されています。
紙幣は二つ折りにされることが多いため、真ん中を避けて左右に配置されるのが通常です。
ですがこの時の紙幣は1万円でも聖徳太子が採用されており、一目で違いがわかるようにする必要があったため、やむなく真ん中に配置されたと考えられています。
聖徳太子が5000円の顔に選ばれた理由は、詳しくわかっていません。
その功績、国民への認知度など、総合的に判断された結果であると考えられます。
一説には、候補者の中から一番無難だったから、とも言われています。
他の候補者には明治天皇や藤原鎌足などが挙げられていたそうです。
天皇を肖像を紙幣にすることはタブーであり、昔の偉人では古臭いなど、どの候補を採用するにしても異論があったようです。
ですので1万円札も含めて、国民から納得が得やすい聖徳太子が採用されたのだとも言われています。
その後、新渡戸稲造の5000円札が、1984(昭和59)年に発行されました。
古い5000円札というと、こちらを思い浮かべる方も多いのではないでしょうか。
1981~1982年にかけて、聖徳太子の精巧なニセ札が出回ったそうです。
国は偽造対策を急いで進め、1984年、最新の偽造対策を施した改刷が行われることになりました。
それがこの新渡戸稲造5000円札です。
この紙幣の特徴は、紙幣の肖像に初めて文化人が採用されたことです。
今までは武人や政治家を採用するのが通例でしたが、国際的にも文化人を肖像に採用する流れも踏まえ、5000円札には新渡戸稲造が採用されました。
紙幣のデザインは表面が新渡戸稲造の肖像、そして太平洋を中心にした地球儀が描かれています。
太平洋の地球儀が採用されたのは、新渡戸稲造の「願わくは、われ太平洋の橋とならん」という言葉にちなんだものだそうです。
そして2004年11月1日に、現在も使われている、樋口一葉の紙幣が発行されました。
2024年には津田梅子の5000円札が発行される予定です。