日本初の公園・上野恩賜公園(通称:上野公園)が開園しました。
上野公園の誕生の歴史はまず江戸時代まで遡ります。
三代将軍・徳川家光が江戸城の北東の方角を封じるためにこの地に東叡山寛永寺を建てました。
以来、寛永寺は将軍家の墓所として権勢を誇りましたが、戊辰戦争では寛永寺に立て篭った旧幕府軍を新政府軍が包囲殲滅したため、一帯は焼け野原と化してしまいました。
その後の1870年、医学校と病院予定地として上野の山を視察したオランダの医者であるアントニウス・ボードウィンが、公園として残すよう日本政府に働きかけ、その結果1873年に日本初の公園に指定されました。
そして、博物館や美術館、動物園など多数の文化施設を要する、総面積53万平方メートルの公園として、今でも親しまれています。
上野公園の生みの親・ボードウィンの功績を称えた彼の銅像が、1973年に公園内に建てられました。
しかしその銅像は弟をモデルに製作したものだったのです。
実は親族が弟の写真を渡してしまい、間違えて作られたという逸話があります。
近年、その間違いが発覚したことで、2006年に正しいものに建て替えられています。
上野公園は「上野の森」とも呼ばれ、武蔵野台地末端の舌状台地「上野台」に公園が位置することから「上野の山」とも呼ばれています。
また上野公園には西郷隆盛の像があります。
なぜ上野に像があるのでしょうか?
実は像の発起人たちは、西郷隆盛が維新第一等の功臣であり、また江戸城無血入場を実現したという理由で、皇居の近くに像を建立したかったようですが、まだまだ周囲の反感が強かったそうです。
そのため、戊辰戦争の戦闘の一つである上野戦争において、薩摩兵が奮戦したゆかりの土地ということから上野が選定されたといわれています。