1789年7月14日。
フランス革命が始まった日です。
この日はフランスでは革命記念日とされ、祝日となっています。
フランス革命とは、1789年から1799年にかけてフランスで勃発した、絶対王政を倒した市民革命です。
バスチーユ牢獄襲撃からナポレオンによるクーデターまでの一連の流れを指します。
フランス革命はどうやっておこった?
1789年 : バスチーユ牢獄襲撃
1789年、財政悪化に対する議論のため、ベルサイユにて、聖職者、貴族、市民が一堂に会する「三部会」が招集されました。
しかし議決方式などをめぐって聖職者・貴族と市民で対立してしまい、市民が勝手に新しい議会を作るなど、事態は混沌としていきました。
そして1789年7月11日、国王ルイ16世は事態の責任を取らせるため、財務総監だったネッケルの罷免を発表します。
ネッケルは当時、市民の信頼を得ていた人物だったため、市民はネッケルの罷免に反発し、パリの東端に築かれた、城塞であり牢獄であるバスチーユ牢獄を襲撃し、陥落させました。
こうして、10年におよぶフランス革命が始まったのです。
当時、政治犯が収監されていたバスチーユ牢獄は、国王の絶対権力のシンボルでした。
1791年 : ヴァレンヌ逃亡事件
革命の勃発以降、ベルサイユからパリに移された国王ルイ16世は、権力の回復を図りましたが、その試みはいずれも成功しませんでした。
そしてついに1791年6月20日、国王一家がオーストリアへ逃亡を図ったのが「ヴァレンヌ逃亡事件」です。
反革命派が加担したこの事件は、手違いと油断から失敗に終わります。
結局、国王一家は国境に近いヴァレンヌにおいて捕えられ、パリに送還されました。
1792年 : 八月十日事件
1792年、国王ルイ16世は外国と手を結んで革命側に圧力をかけようと試みます。
革命側はこれに刺激されて国王廃位の請願を出しましたが、請願の期限が切れても結果が得られなかったため、8月10日に国王のいるチュイルリー宮を襲撃しました。これが八月十日事件です。
この事件により事実上、王制が廃止され、9月からは正式に第一共和制が開始されました。
1793年 : ルイ16世とマリー・アントワネットの処刑
こうして国王一家はタンプル塔へ幽閉され、「祖国と革命に対する裏切り」という理由で、1793年1月21日にルイ16世が処刑されました。
それに続き、王妃マリー・アントワネットの処刑が執行されたのです。
1793年~1794年 : ロベスピエールの恐怖政治
1793年、それまで革命側の主体だったジロンド派が追放されると、ロベスピエールの率いるジャコバン派が権力を握りました。
ロベスピエールは「恐怖政治」を宣言して、多くの反革命派を処刑し、亡命貴族からは財産を没収しました。
獄死した人も含めると死者は4万人にもなるとされています。
なお処刑道具として有名なギロチンはこの時期に発案され、恐怖政治のシンボルともいわれています。
ですが、1794年にクーデターが起き、ロベスピエールもまたギロチンによって処刑されました。
1799年 : ナポレオンのクーデターと新政権の設立
ロベスピエールの失脚後、テルミドール派が政権を握り、総裁政府が設立しますが、不安定な情勢が続きました。
そこで市民は、軍隊とその指導者であるナポレオンに信頼を寄せるようになります。
そしてついに1799年11月9日、ナポレオンがブリュメールのクーデターにより政権を奪取し、フランス革命は終焉を迎えました。