彼は、1756年1月27日にオーストリアのザルツブルクに生まれ、1791年12月5日にウィーンで35年という短い生涯を終えました。
モーツァルトは幼少の頃から父親による英才教育を受けてきました。
神童と呼ばれ、たった5歳で最初の作品を書いたと伝えられています。
モーツァルトは父親に連れられて、ウィーンやドイツのミュンヘンなどヨーロッパ各地を旅していました。
ウィーンやパリ、ローマなど、各地の宮廷で演奏したり、教会でオルガンを弾いたり、道中で作曲したりと、その才能に磨きをかけていきます。
彼は900曲以上の作品を残し、オペラ「フィガロの結婚」「魔笛」、交響曲「ジュピター」、ピアノ・ソナタ「トルコ行進曲」やピアノのための「きらきら星変奏曲」などが有名です。
天才と評されている一方で、お金の浪費癖もすごかったそうで、妻であるコンスタンツェと贅沢な暮らしをしていたそうです。
結婚当時、すでに有名作曲家として売れっ子のモーツァルトには、それなりに高い収入がありました。
オペラや交響曲を書いては依頼主に納品し、楽譜を出版することで生計を立てていました。
彼の着るものは常に上質で、数も揃えたい性分でした。
家賃の高い立地よい場所に住み、さらにはカジノに通い負けまくるという、全く計画性のない人生を送っていました。
そしてお金がなくなりそうになると、仕事を持ちかけて前借りをし、知人に借金を申し込みました。
ここでさくっとお金を借りられるのが彼の才能のひとつです。
子供っぽさと、正直で悪びれない性格は、ある意味武器だったのかもしれません。
こんな状況を妻であれば肝を冷やして進言したいところ。
まともに生活ができるとも思えないのですが、さすがモーツァルトと相性の良い妻のコンスタンツェです。
自分も一緒になって浪費を楽しんでいました。
この妻の浪費の裏には、モーツァルトが結婚後も女性にあてて曲を送ったり、恋愛沙汰を繰り返すような問題が付き纏っていたことも影響しているのではないかとも思います。
妻として家を守っているのだから、その収入を好きに使って、憂さ晴らしをしたくなる気持ちもあったのでしょう。
そんな贅沢な生活を続けるためにはモーツァルトは作曲をやめるわけにはいきませんでした。
現代のような印税方式は確立されていなかったので、いくら作っても売った時のワンタイムの収入しかないモーツァルト。
その頃すでに病いもあり、借金返済の作曲続きで相当辛い時期を過ごしてしまいました。
人気も下降し仕事が減ったことも追い討ちをかけたようです。
こうして35歳という若さでこの世を去りました。