1903年12月17日。
ライト兄弟が動力飛行機の初飛行に成功しました。
「飛行機の日」と呼ばれています。
ウィルバー・ライトとオービル・ライトの兄弟(通称「ライト兄弟」)が自作の飛行機による人類初の有人動力飛行をアメリカ・ノースカロライナ州で成功させました。
ライト兄弟は幼い頃から好奇心にあふれ、自分たちで工作をしたり実験することが好きでした。
そして父からもらった模型飛行機のおもちゃをきっかけに、彼らは空を飛ぶことに強い興味を抱くようになりました。
学生時代になると、アメリカでは自作の新聞が流行り出し、ライト兄弟も自分たちの新聞を発行するようになります。
実務的な作業が得意だったオービルが印刷機を組み立て、文章はウィルバーが書いていました。
新聞といっても今よりずっと簡易的なものでしたが、2人の作る新聞はいつも飛ぶように売れて、この仕事に夢中になった彼らは大学には行かず、自力で知識を身に着けていくことになります。
1890年代に入ると今度は自転車が流行り出し、この勢いに乗ったライト兄弟は新聞作りに見切りをつけ
自転車販売店を開くことにします。
最初は自転車を仕入れて売るだけでしたが、元々手先が器用で機械いじりの好きだった兄弟はその後
修理も請け負うようになり、最終的には自作の自転車を販売するようになります。
自転車店を営むライト兄弟に転機が訪れたのは1896年のことでした。
ドイツ人の飛行研究家リリエンタールが新しい自作のグライダーで飛行実験を行った際に墜落死したという記事を目にしたのです。
幼い頃に空を飛ぶことに興味を抱いていたライト兄弟は、このリリエンタール博士の大ファンで
いつも彼に関する記事に注目していました。
憧れの博士の死と実験失敗を受け、ライト兄弟は逆にその興味を強めることになったのです。
博士の無念を晴らすため、2人は飛行機作りを開始しました。
まず、科学や技術に関する知識の宝庫であるスミソニアン協会に手紙を出し、それまでの飛行機の資料を取り寄せ読み漁ります。
そこからかつての天才たちが何故実験に成功しなかったのかをあぶりだし、自分たちも自転車が売れなくなる冬の間を使って研究や実験を繰り返しました。
そして1903年、遂に人類初となる動力飛行機の有人飛行に成功したのです。
その後彼らの飛行機は改良を重ねられ、ヨーロッパを中心に海外にも普及していきます。
そして母国アメリカでも空軍に搬入されました。
人類の夢を叶え、会社も立ち上げたライト兄弟でしたがその後、兄ウィルバーが45歳の若さでチフスにより死去。
弟のオービルは特許の問題で長年他社と争うことになったり、スミソニアン協会との間に軋轢が生まれるなど、華々しい業績を残した割に、晩年は様々な問題に苦しむことになりました。