ベルギー独立革命が始まった日です。
革命のきっかけ
その日に上映されたオペラがきっかけで革命が始まったため、「音楽革命」とも呼ばれています。
ベルギー独立革命は、1830年8月に生じたブリュッセルでの反乱に始まる、ベルギーのネーデルラント連合王国(現:オランダ)からの独立戦争を指します。
18世紀末からのフランス革命とナポレオン戦争の時期にかけての動乱を経て、ウィーン会議の結果、当初のベルギーはオランダに併合されることが決まりました。
ベルギーの独立革命には多くの要因が存在しました。
政治経済の重要決定がアムステルダム(オランダの首都)でなされる不平等感、宗派の対立(オランダ側はカルヴァン主義・プロテスタントに対して、ベルギー側はローマ・カトリック)、さらに南部ワロンは当然のこと、北部フランデレンにあっても重要な言語はフランス語という違いがあり、ベルギー国内での不満はどんどん溜まっていきました。
1830年7月にはフランスにおいて七月革命が発生し、隣国で起きた革命によってベルギーの人々も強い刺激を受けていました。
ベルギーでの反乱のきっかけは1830年8月25日の夜の暴動でした。
これは、感動的で愛国心を刺激するオペラ『ポルティチの唖娘』の上演によって生じました。
このオペラのストーリーは、17世紀のナポリで起こった、スペイン人の総督に対するマサニエッロの反乱を題材にしたもので、観客の愛国心に火をつけたのです。
テノール歌手のアドルフ・ヌーリの「祖国への神聖なる愛」の二重唱は、革命のきっかけとなった暴動を引き起こしました。
群衆は公演が終了した後、愛国的な声をあげながら通りに押し寄せ、素早く政府の建物を占領しました。
ウィレム1世は力ずくで治安を回復しようとしましたが、ブリュッセルを占領することはできませんでした。
その後、臨時政府がブリュッセルにおいて設立され、10月4日に独立宣言が行なわれました。
1831年2月には、ベルギーの憲法の制定が行われました。
ベルギーの独立においてヨーロッパ列強の圧力も関わっていました。
1830年11月に開催されたロンドン会議において、ベルギーの独立を否定したのはロシア・プロイセンの2国にとどまり、フランス、イギリスのみならず、オーストリアまでが、ベルギーの主張を支持しました。
同年の12月20日にイギリス外相パーマストンの主導で議定書が成立し、ベルギーの独立が承認されました。
これに対してオランダは軍事行動を起こし、ベルギー独立を認めませんでしたが、ヨーロッパ列強でオランダ政府を支援するために軍を派遣した国はありませんでした。
逆にフランスはベルギーを軍事的に支援し、オランダは休戦を余儀なくされました。