【1931年(昭和6年)8月20日】交通信号設置記念日

歴史を振り返る~今週の出来事~

1931年のこの日に、銀座の尾張町交差点(現在の銀座4丁目交差点)・京橋交差点などに、日本初の3色灯の自動信号機が設置されました。

信号機の始まり

日本の交通信号機は、1919年、東京・上野に「信号標板」が試験設置されたことが始まりです。

これは「進メ」と「止レ」の標板を付けた手動式の標識です。

大正半ばから昭和初期にかけて、警察官の「挙手の合図」と共に交通整理に用いられました。

その後、アメリカから電気式信号機が日本にやってきて、1931年の8月20日に銀座や京橋の交差点に自動信号機が設置されました。

その後、34カ所の市電交差点に三色灯の自動信号機が設置され、信号機の普及はこの日から本格化していったようです。

ただ、当時の歩行者は色灯による交通信号の意味をなかなか理解せず、指示に従わなかったといいます。

このため、交差点に多数の警察官を配置して周知させ、青灯に「ススメ」、黄灯に「チウイ」、赤灯に「トマレ」と文字を書くなどの指導を行いましたが、歩行者に浸透するまでにはかなりの時間がかかったそうです。

世界初の信号機が設置されたのは、1868年のロンドンです。

馬車の交通整理の目的で作られました。

当時のロンドンでは、馬車の交通量が増えたことで、事故が多発していました。

1866年には1000人以上が死亡し、1300人を超える市民が負傷していたのです。

このような状況を改善するため、馬車による交通を規制し、事故数を減らすための信号システムを提案した人物が、イギリス人のジョン・ピーク・ナイトです。

開発されたのは、赤と緑、2色が点灯する信号機です。

この信号機の光源は、電気ではなく、ガスを使用していました。

一時は大成功かと思われたのですが、設置から間も無く、ガス爆発を起こしてしまい、起動後わずか3週間後で撤去されてしまいました。

その後、1920年代になると、アメリカでも信号機が作られるようになりました。

それ以前は、警察官による手旗信号などがポピュラーでした。

しかし、手動による交通整理では、手間と労力がかかります。

そこで作られたのが、赤・黄・緑の3色の信号機でした。

当時の信号機は黄色が「進め」、赤が「止まれ」、緑が「右左折可」だったようです。

その後は、多くの発明家がこぞって様々な信号機を考案し続けました。

そして10年後の1930年に、アメリカの電気式信号機が日本にやってきました。

Traffic light on red, Manhattan, New York, America, USA

信号が赤・青・黄色なのはなぜ?

交通信号が赤・青・黄色の3色なのは、日本独自の規格によるものではなく、世界的に規定されています。

規定されている信号の色は「赤・緑・黄・白・青の5色」で、交通信号には赤・緑・黄、白や青は航空信号など、交通信号以外に採用されています。

かつては白を「安全・進め」、赤を「危険」の意味を持つ色として使っていたようですが、時代が進むにつれて街に街灯が普及し、白い光との区別が付きにくくなったことで、緑色に変更されたといわれています。

これに注意を喚起する色として、赤と緑の中間色から黄色が選ばれ、現在の形になったのです。

 日本ではどうして「緑信号」を「青信号」と呼ぶの?

実は日本に信号機が導入された頃の法令では、「緑色信号」となっていました。

しかし、現在の道路交通法を見ると「青色の灯火、黄色の灯火、赤色の灯火」と表記されています。

どうして緑が青に変わったか、その理由には諸説ありますが、「青葉」「青物」など、日本では昔から「緑」を「青」と呼ぶことが多かったからだといわれています。