俳諧師・浮世草子作家の井原西鶴の命日のため、「西鶴忌」と呼ばれています。
井原西鶴ってどんな人?
井原西鶴は江戸時代を代表する俳諧師・浮世草子作家です。
庶民の娯楽としての読書が普及し始めた、江戸時代前期に活躍し、浮世草子という江戸時代の文学を成立させました。
俳諧とは、滑稽な連歌という意味があります。
伝統的な連歌の形式を生かしつつ、滑稽な言葉(俗語や漢語など)を盛り込んだもののことを指します。
元々連歌は、和歌から強い影響を受けて生まれましたが、そこには美しい言葉による優美な世界が存在していました。
同じ形式で、もっと滑稽で、卑俗的な内容を表すことはできないかと連歌から派生したのが俳諧です。
俗語や漢語など、本来和歌では使わない言葉を使い、滑稽さを表した俳諧は、連歌とは“歌を連ねる“という形式は同じながらも、性格の違うもう一つの文芸として確立されたのです。
浮世草子とは?
浮世草子は、江戸時代の元禄文化を代表する文学です。
浮世草子の「浮世」には「世間」という意味があります。
もともとは「憂き世」と書き、平安時代には「辛く儚い世の中」という意味で用いられていました。
しかし江戸時代になって世の中が平和になり、生活にゆとりが生まれると、人々のあいだに享楽的な考えが生まれるようになり、肯定的な意味で用いられるようになったのです。
浮世草子は戦国の世が終わり、平和で豊かな暮らしを享受する人々の心情にぴったりとはまる内容で、一大ブームを巻き起こしました。
世の中の出来事をリアルに、面白おかしく表現した浮世草子は、文芸作品の新しい形式として受け入れられ、人気となりました。
江戸時代以前の文学は、書店に並べられて買われるものではなかった?
例えば、源氏物語であれば執筆中の読者は宮中の貴族のみで一般大衆の娯楽ではありませんでした。
しかし江戸時代になると、印刷技術の普及により本を複製することが格段にしやすくなりました。
これにより一般大衆にも娯楽としての読書が広がり、貸本屋・印刷業者といった職業が登場しました。
西鶴の書いた文学はこのような背景を織り込み、売れるための作品作りがされていました。
第一作である「好色一代男」は源氏物語を主とするパロディ作品で、主人公を貴族ではなく、裕福な庶民に変え、読者が想像しやすい主人公に改変し、人気を得ました。
彼はもともとは商人でしたが、15歳のころから俳諧師に弟子入りし、21歳のときには大きな催しに参加して名を残すほど上達しました。
1675年、34歳で妻に先立たれたのを機に、商売をやめて出家し、俳諧師として本格的に活動を始めました。
その後は作家に転向し、1682年に「好色一代男」を刊行しました。
1693年に亡くなるまでの10年にわたり、人気作家として活躍しました。