1973年7月29日。
「アマチュア無線の日」が定められました。
1952年のこの日、戦中に禁止されていたアマチュア無線が解禁され、全国の30人に無線局予備免許が交付されました。
かつてはキンブオブホビーとまで言われたアマチュア無線。
日本でアマチュア無線が始まったのはいつなの?
イギリスの電磁誘導の発見や、モールス信号といった世界的に有名な伝達の歴史は一般的にも認知されていると思いますが、日本での活躍というとあまりピンとこないと思います。
国内ではおよそ1896年から無線の研究が開始され、翌年には実際に通信を行うことに成功しました。
そしてその3年後には軍用の通信機を開発し、稼動するまでにいたっています。
大正時代に入ってからは電波法が作られ、海外への送受信の成功など目まぐるしい進化を遂げていきます。
記念すべき最初の無線の免許は、アマチュアという名ではなく短波局という形で昭和2年のときに2名の志願者へ交付がされました。
いずれも個人としてではなく探知機の開発や、仕事のための目的で取得されたと言われており、アマチュアという意味では最初ではないという声もあるようです。
世間的にアマチュア無線が認知されるようになったのはいつ?
JARL(日本アマチュア無線連盟)が設立された、1926年の翌年からになります。
これによって晴れて無線機を個人で使い、通信を楽しめる段階となりました。
しかし、世界大戦が始まったことにより、まもなく個人的な電波の送信は全面的に禁止になり、また無線免許を持っていた若い人たちは通信部隊として従事するといったケースもあったようです。
戦後まもなくは個人での電波の使用は許可されていませんでした。
有志が募り再度使えるように働きかけましたが、実際に使えるようになるまで1952年ごろまで待つ結果となりました。
その後、1966年には今では懐かしい呼び名の電話級という資格が用意され、本当に誰もが無線を楽しめる時代になりました。
「キングオブホビー」と呼ばれる黄金期を迎える
日本のアマチュア無線局数は1975年に30万局を超え、米国を抜いて世界第1位となったのです。
1970年代には「趣味の王様」と呼ばれるほどのブームをもたらしました。
ピークには150万局、連盟の会員も20万人以上であったそうです。
その後は携帯電話の普及により局数は減っていきますが、現在でも多くの周波数がアマチュア無線に割り当てられており、多くの人に親しまれています。