1912年(明治45年)7月3日。
大阪市浪速区に通天閣が建ちました。
1903年に開催された第5回内国勧業博覧会の会場跡地に、1912年、娯楽施設のルナパークのシンボルタワーとして、フランス・パリの凱旋門にエッフェル塔を乗せたような初代通天閣が建設されました。
ルナパークとこの通天閣は赤いロープウェイで結ばれていて、通天閣を中心に映画館、劇場といった娯楽施設、旅館、飲食店が建ち並び、繁華街「新世界」が形成されました。
当時の通天閣の高さは75m、もちろんその当時の日本一かつ、東洋一の高さを誇り、通天閣の名前の由来は「天に通じる高い建物」という意味です。
しかし、残念なことに1943年、足元の映画館が炎上し、解体することとなり、初代通天閣は姿を消したのです。
現在の2代目通天閣が再建されたのは1956年(昭和31年)。
初代が姿を消してから13年後のことでした。
通天閣が消えて寂しくなった新世界を復興しようとの地元の声をきっかけに、創立事務所が設置されました。
1955年、地元の人々からの出資によって、通天閣観光株式会社がスタートし、通天閣の2代目誕生へとつながりました。
2代目通天閣の高さは避雷針を含めて108mです。
設計者は同時期に建設された東京タワーなどを手がけた内藤多仲です。
また、「ビリケンさん」の名で親しまれる、通天閣のマスコットキャラクター「ビリケン」その由来には諸説ありますが、1908年、アメリカの芸術家フローレンス・プリッツが夢の中で見た神様をモデルに製作したのが始まりと言われています。
シカゴの「ビリケンカンパニー」によって「幸福の神様」として全世界に広まったビリケンは明治時代に日本にも伝来しました。
1912年に通天閣に併設されていた遊園地「ルナパーク」に設置された後、何度かの移動を経て現在では通天閣展望台で人々を見守っています。