小倉百人一首は藤原定家によって、この日に完成されたとされています。
そのため、5月27日は「百人一首の日」と呼ばれています。
百人一首とは、百人の和歌を一人につき一首ずつ選んで作られた秀歌撰のことを指します。
百人一首は現在では歌集としてよりも、かるたとしての方が知名度が高く、特に正月の風物詩としてなじみが深いものです。
中学や高校の古典の授業でも使われることが多く、暗記をさせる学校も多くあります。
百人一首がかるたとして遊ばれるようになったのは、いつからなのでしょうか?
かるた遊び自体の原形は、室町時代に公家の間で、細長い紙に上の句と下の句をそれぞれ一行に書き、それを縦半分に切って混ぜ合わせ、歌を合わせて遊んだことにあるといわれています。
後に厚紙に代わって蛤貝が用いられ、貝覆という遊びになりました。
足利時代末期になると、ポルトガル人によりかるたが伝えられ、これが伝統的な貝覆の遊びと結びついて歌かるたが生まれたといわれています。
元禄の頃には木版刷りの安価な百人一首かるたが出回るようになり、庶民の間にも『百人一首』が急速に浸透していきました。
明治時代になると歌かるたはさらに発展し、一般家庭でもかるた会が開かれるようになりました。
1904年(明治37年)には、総ひらがなの現在の標準かるたを考案し、同年2月には第一回公式かるた大会を東京で開催されました。
1912年(明治45年)には大阪の浪花倶楽部において、第一回のかるた全国大会が開催されています。
現在は全日本かるた協会主催で、競技かるた大会が毎年開かれています。